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嗅覚

普段考えてること、猫とか、すきな人のこと。

文章を書くことはダンスをすること

雑記
そんな風に言った人が居た。
あたしが中学生くらいから何かしらの文書を書くことを初めて
音楽が好きになり
縦にノることくらいしか分からなかった状態から
ライブハウスでゆらゆらと踊るようになり
文章は短い物語のように詩を書くことから
日々の事や考えを書くことが増え
クラブではお酒を飲みながらその場で友達を作りつつ
もっと自由に踊るようになった
仕事で文章を書くことが出てきてからは
それまでよりも語感を意識するようになったな

日記をつけることは昔から好きな方だったけど
紙のノートに書く純粋な日記は独り言だ
だから自分だけがそのときの気持ちを感じられればいい
手紙を書いたり 交換日記をしたこともあったけど
なんだかそれは一方的な書き方だった事が多いように思う
学校の中で交わす 近い約束をする小さな手紙だけが
唯一まともなコミュニケーションツールだったんじゃないかな

大体の日記は時系列に書く
起きたことをそのまま書く、それだけなら独り言の日記
もしくは単なる記録になるだけで
見てる人は何も楽しくない
から読み飛ばす

今日はこれから撮影だよ!〇〇食べて一日頑張ります!

とかね、よっぽど好きな人でもなければクソ興味ない

それでも今のSNSは 誰かに見て欲しいって気持ちで機能してるものがいっぱいあるよね
と言うかそれが大半だよね
Twitterをただのつぶやき用でやってる人が居たとして
それを全体公開でツイートしてるのであれば
心のどこかで 誰かの目に留まりたい
共感してくれる人や気になってくれる人が居たら嬉しい
って気持ちがあるんじゃないかって思う
ROM専登録でほんとに公開ツイートが一言もない人だったら
うんうん、眺めてたいのねって納得するぜ

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脱線した。

えーと あたし個人のブログを書いたりするスタンスは
記録ではなく記憶のために書く、ということ。

どこかに行ったり 何か見たりして心が動いたら
その感動が少しでも誰かの目に留まってほしい
だからその時それをどんな風に感じたか
感触が想像できるかどうかを重要視して言葉を選ぶ

何か言われて心が動いたら
それを印象づける構成を考えながら書く

文章に書き起こすことで気付くことはたくさん。
ネガティブキャンペーンを書きなぐりたい瞬間があったとして
それを書き残してしまったら、後は見る度に只々ヘドロのような気持ちが再生されて
自分のネガティブで何かしら死ぬんじゃないかとすら思う
それを記憶として残し続けるのはよくない
だから書き留めたりしない

逆に笑顔になる出来事があったときは
積極的に書き留めることにしてる
あたしはね、誘うように踊っていたい